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長興寺(ちょうこうじ)は、群馬県前橋市茂木町にある曹洞宗の寺院である。愛知県豊川町の妙厳寺(豊川稲荷)の末寺にあたる。また、長興寺も大胡町堀越(前橋市)の永龍寺や伊勢崎市の天増寺などの末寺を持つ)。なお、大胡藩主牧野氏が越後長岡藩に転封された際に当寺の僧の天室恵鏡が同行して長岡城下(現在の新潟県長岡市)に普嶽山長興寺を建てている。〔参考文献の1、14頁。〕。 稲垣長茂(鳥羽藩主家稲垣氏初代当主)〔長茂は牧野康成 (大胡藩主)の老臣で徳川家康の直参旗本に抜擢され、慶長6年(1601年)には大名(伊勢崎藩主1万石)に列した→参考文献の2、390頁。〕が、伊勢崎藩在封期の慶長年中に、妙厳寺9世である天室伊尭を開山に迎えて、稲垣家菩提寺として開基したと伝承される〔参考文献の1、1頁。〕。 == 当寺の墳墓等 == 境内には牧野氏老臣であった稲垣長茂の父親の重宗(法名道善)の墓や同じく牧野氏老臣で後に徳川家直参となった山本成行(帯刀左衛門尉)夫妻の墓(現在は供養塔)がある(山本成行は越後長岡藩家老の山本帯刀家の祖である)〔参考文献の1、6頁・22頁。〕。 また、同寺墓地には大河内二右衛門(前橋藩酒井氏家臣・大胡城代)夫妻の墓、同じく前橋藩酒井氏家臣の村上重清一族の墓、その他にも同藩大胡在勤の武士であった成瀬・依田・増尾・林野・赤堀・横山等、各氏の墳墓がある〔参考文献の1、23-24頁。〕。 このほか、川越藩士・赤羽三蔵宗忠が主命を帯びてこの地に至るが、客死したためにこの寺に葬られ、宗忠の遺言に感じ入った当時の大胡村の住民が寺の西南300メートルほどの地点に建碑している〔遺言「…(前略)…されど吾旅に死すとも後世旅に病む者に力を与うべし」によるという、その碑文は、「赤羽三蔵宗忠、生国武州仲辻村人、為予禮徳仁義師也、于時宝永二酉正月二十四日夜於病死、従是当北林葬長興寺仁」(赤羽三蔵宗忠、生国は武州仲辻村の人、予(かね)て礼徳・仁義の師なり、時に宝永2年(1705年)酉、正月二十四日夜病死するに於いて、是より当北林の長興寺に葬る)→参考文献の1、25頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長興寺 (前橋市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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